なぜプチ家出するのか?

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かつて家出したことのある人間が率直に言うならば、不満だらけの現状を打破したい、打破したいが解決方法が「現状を捨てる」以外にない、からでありましょう。
私が家出したのは中学校三年生の二学期始まってすぐでした。体育祭の直前で、くそ暑いのに毎日毎日体育祭の練習させられて、好きでもないというより嫌いな運動ばっかりさせられて、家にいてもおもしろくないし、友達といても気も晴れないし、家出でもすっかなと。そんなもんですよ、意外と。そんなに大きな意志とかないです。現状が嫌だってだけです。何が嫌かすら明確にはわかっていませんでした。だからって中学辞めるってわけにもいかないんですよ、義務教育なんだから。不登校ってのもいじけてるみたいでなんかおもしろくないし、自殺する勇気はない。じゃ、違う世界に行ってみようか、と。
しかし違う世界ってなんでしょう。そんなのありゃしません。どこかに行ってみたところでただの生活力のない中学生がひとりいるだけです。私の場合は5日くらい都内をうろついてましたか。
幸い顔が老けていて職務質問などにあったことは一度もありませんでした。夜中にふらふらしていても全然大丈夫。老け顔って便利だなと思ったのはあれが始めてでした。
帰ったら帰ったで、家も学校も大騒ぎになっててまあ大変でした。割と勉強が出来る方だったもので、そうした『非行』に走るとは思われてなかったようで、かなりの大騒ぎで。おかげでしばらく周りが腫れ物に触るようだったのでそれに乗っかって卒業までやりたいようにしてました。少々のわがままを言っても、周りが気を使って呑んでくれるのです。ほう、世の中とはこのように手のひらを返すのか、とも思いました。いわゆるヤンキーの子達とは少しなかよくなりました。全然仲良くなかったというか、話したこともほとんどなかったのですが、向こうが仲間と認識したみたいです。
そういうわけで、確かに少し、打破したかった現状に変化があったとはいえるでしょう、私が望んだ変化とはだいぶ違いましたが。劇的な変化など、ちょっと家出したくらいじゃ起こらないことがわかるのも若い私には必要だったのでしょう。
おそらく、普段通りにすごしているのではわからない、そのような体験を得るために、私は家出をしたのかもしれません。変化を起こす方法や力がない時にやぶれかぶれでするのが若者の家出、なのではないでしょうか。